祖母の危篤の一報から、看取り、お通夜、お葬式、リトリート主催、私のお誕生日・・と
あまりにもいろんなことがありすぎたこの一週間も、
時が経つと薄れていくので、少し遡って改めて言語化しておきたいと思います。
7月末から次々に見えるものも、見えないものも手放して
軽やかにお誕生日を迎えようとしていた一週間前。
102歳の祖母が危篤で、今晩が峠だと一報が入りました。
施設でもずっと元気にしていた祖母。
その時はあまりにも突然すぎて呆然とするばかりでした。
ひいおばあちゃんのことが大好きだった長男は
「神様!もう一度おばあちゃんに会わせてください!」と一晩中祈り続けました。
その祈りが届いたのか、翌朝8時に奇跡的に意識が戻り、
家族の面会が許されました。
95歳まで現役で、熱い鉄板の前に立ってお好み焼きを焼き続けたおばあちゃん。
もう起き上がることも、話すことも出来ず、横たわっているだけだけど、
手を握ると力強く握り返してくれました。
「おばあちゃん、目を覚ましてくれてありがとう。
会いたかったよ。
やっと会いに来れたよ。
大好きだよ、おばあちゃん。
今まで辛いこともいっぱいあったね。
でもどんな時も生きてきてくれてありがとう。
楽しいこともいっぱいあったね。
おばあちゃんと一緒に過ごせて幸せだったよ。
おばあちゃん、大好き。
ずっとずっと大好き。
ありがとう、ありがとう」
小さくなったおばあちゃんの頭や顔を撫でながら、そう話しかけると
じっと目を見ながら、何度も握り返してくれるその手は暖かくて
命の炎がまだ燃えているのを感じました。
おばあちゃんの意識が戻ったのはちょうど日曜日。
長男の仕事もお休みで、すぐに駆けつけることができました。
土曜日に危篤状態になって、日曜日に目を覚まし、
ちゃんと家族みんなにお別れをさせてくれた宇宙の計らいとおばあちゃんの愛に
心が震えました。
一旦危篤状態になったからこそ、みんな「最後かもしれない」と
タイミングを逃さず駆けつけることができたんです。
人は「いつでも会える」「いつでもできる」「また今度」と
「今ここ」から目をそらしがちです。
受け入れたくないと思うことほど、無意識にそうしがちです。
でも、たとえ危篤でなくても、本当は「今この瞬間」はここにしかない。
そして本当に大切なものには「今ここ」を生きることでしか出会えない。
この2日後、さらにそれを深く感じる出来事が起こるのです。
続く・・
2015年、主人から「仕事なんて辞めて掃除しろ」と言われ、離婚の危機に立たされます。
その状況を抜け出すべく、嫌いだった掃除と向き合っていくうちに本来の衣食住の意味や
暮らしの在り方、物事の成り立ちなどに気づいていきました。
2022年、ある出会いによって、その気づきは「日本人のDNAの目覚め」であったことが分かり、
生きとし生けるものが幸せに暮らす大和の智慧を、日々の暮らしに取り戻す「やまとごころ講座」をお伝えしています。