青山真理 公式ブログ

②おばあちゃんからのギフト

一旦意識を取り戻した祖母でしたが、その2日後の夜、

食事はもちろんのこと、水を飲むことも出来なくなったと連絡がありました。

本人の希望でもあり、延命治療はしないことになっていたので

水分や栄養を点滴で入れることもなく、

翌日に控えていた診察ももう必要ないということでした。

 

つまり、もう時間の問題ということ・・

 

私は父に

「おばあちゃんに側にいたい。

もう何も必要ないなら、連れて帰ることはできない?

会うことはできない?」と聞きました。

 

「それは無理や。最後はもうすべて施設にお任せするっていう規則なんや」と父。

「無理って誰が決めたん?」と食い下がる私に

「施設の決まりなんや」と。

 

昔から「決まり」から外れることを嫌う父や母は

「それは真理のワガママや。

もう家族として十分に出来ることはやってきた。

そこまでする必要はない。

そもそも連れて帰ってもどうしていいか分からん。

施設の人は何人も看取っているプロなんや。

プロに任せたらいい。」と。

 

「プロって何なん??

私は看取りのプロではないけど、大切な人をどう送り出したらいいのかは

私の魂が知ってる。

もちろん、あの施設もスタッフの人も本当に素晴らしいと思ってるよ。

ずっと見てきたもん。感謝もしてる。

それでも、あんなに家や家族が大好きだったおばあちゃんの最期に

せめて側にいたいっていうのは本当にわがままなん!?

私はただ、おばあちゃんの最期に側にいる方法があるか、施設に相談したいだけ。

どうしても方法がないっていうなら、ちゃんと受け入れる。

誰かを困らせたり、迷惑かけたいわけじゃない。

ただ、何の行動もせずに『そういう決まりだから』って諦める選択肢は私にはないの。

魂が願うことを叶えるために出来ることは全部したいの!」

 

断固として譲らない私に実家の家族は全員呆れ果て、弟にまで

「お姉ちゃん、落ち着いて、感情的にならずに考えてみ?」と言われる始末・・

「落ち着いてるわ!めちゃくちゃ冷静になっての、この意見やから!」と言う鼻息荒い私に

最期に父が「真理の気持ちはわかった。お父さんが聞いてみる」と施設に相談してくれて

なんとこんなご時世なのに、傍で付き添えることになったのです。

 


急いで施設に駆けつけた時には

もう2日前に会った時とは明らかに様子も違って、手の力ももうなくて。

私が誰なのか、何を言っているのか、もうほとんど分かっていなかったと思うけど

おばあちゃんの手を撫でながら、たくさんの思い出話をしました。

 

私が嬉しそうに話していると、じっと私の顔を見てかすかに「うんうん」と頷き

私が泣くと弱々しいけれど私の手に触れてくれて

「大好きよ」「ありがとう」と顔や頭を撫でると口角がふとゆるんで笑っているのが分かりました。

 

何度か、急に目を見開いて両手を天に広げて

何かに抱きつこうとするように

手をひらひらとさせて・・

 

いったいどこにまだそんな力が残っているのかと思うくらい・・

 

そして眠るように、笑いながら息を引き取りました。

その姿は本当に美しくて、命は光なのだと・・

 

おばあちゃんの光が102年共にいた身体に別れを告げて

大きな光のもとに帰ろうとするその姿を見ながら

人は生まれてくる時「地球へようこそ。さぁ、この世界を楽しもう!」と祝福されるように

死もまた「素晴らしい人生だったね、天晴れ!おめでとう!」と祝福されるものなんじゃないかと

おばあちゃんの幸せで穏やかな死は、別れの悲しみだけでなく

感謝や喜びも同時にあるのだと教えてくれました。

 

亡くなった晩、早速お通夜があるものかと思っていたら

お寺さんも葬儀屋さんも立て込んでいるということで

2日後にお通夜、そしてその翌日にお葬式という流れになり、

そのおかげで今、横浜で一人暮らしをしている次男が「それなら間に合う!」と

帰って来れることになりました。

 

本当は生きている間に会わせたくて、

「おばあちゃん、もう少しだけ待ってて!!」と願ったけれど

最期に冷たくなった、でもふわふわで柔らかなおばあちゃんのほっぺたを

涙を堪えながら優しく撫でている次男の姿を見た時

小さい頃から繊細すぎる彼にとっては、この別れが最善だったのだと分かりました。

 

おばあちゃんのお通夜には遠くからも孫、ひ孫たちが集まり、

もう10年以上会ってなかった親戚たちが一同に揃いました。

 

大きくなってから久々に会う叔父や叔母たちから

野球が大好きな長男は「今度一緒に野球を見に行こう」

一人暮らし中の次男は「近いんだからうちにご飯食べにいらっしゃい」

と、改めて繋がる機会を持てて、とても嬉しそうでした。

 

少し前の息子たちならそんな親戚づきあいをめんどくさがっていたけれど

長男は働き始め、次男も一人暮らしをするようになって

人は一人で生きてるわけじゃない。

たくさんの人に支えられている。

その中でも家族の存在の大きさに気づき始めた今だから

親戚たちのそんな言葉を「ありがたい」と感じたようです。

 

それはまるで、おばあちゃんが

「みんなで仲良くね。みんな家族だよ。」

と会わせてくれたようで

 

そしてみんなが笑いあっている様子を、

嬉しそうに見ているおばあちゃんがすぐそばにいる気がして

 

最後までたくさんの愛のギフトを用意してくれていたことに

感謝の涙がとまりませんでした。

死の意味を知るからこそ

生きるとはどういうことなのか

私はどう生きたいのかが分かる。

 

私は19年前に死にかけたのですが、

自分の死と向き合ったあの時と

今回の祖母の死が繋がって

より自分がどう生きたいのかが見えてきました。

 

おばあちゃん、ありがとう。

愛しているよ。

 

続く・・

 

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