今回も「葛藤」について、いただいたご意見からお伝えします。
うーん、これもよく分かるなー!!
私にもいっぱいありました。
「もういい、許した!」と思い込もうとしても、気がついたらまたじわじわと怒りや苛立ちを感じている…みたいな。
で、これもまた多くの方にある感情なのではないかな?
以前の私にとって、相手を許すということは、「相手を優位に立たせ、自分は犠牲になる、損をする」ということだと感じていました。
「そもそも相手は自分が悪いとも思っていないし、「許してくれてありがとう」とも思わないはず。
それなのに、私が許すってことは、『全面的に私が悪かった』と認める行為だし、相手がどや顔で見下すのが目に浮かぶよう…
…なにそれ、すごく腹が立つ!やっぱりいや!絶対許せない!!」
ぶっちゃけて書いてしまえばそんな感じで、とにかく自分の尊厳が無視されているような、負けたような気持ちになっていたんです。
そしてお腹の中でさらに怒りや苛立ちが煮えくり返るわけです。
「ないわー、その感覚!人としてどうなん??」とか
「いったい何様なん!?なんでそんなに偉そうに言われなきゃいけないん!?」とか。
(あははーー。すっかり忘れてたけど、書いてるうちにリアルに思い出したー。あのとき、あの人に対してそんなこと思ってたのを。笑 もう今は感謝しかないんですけどね。笑)
これってつまり、「私は正しい」「相手が間違っている」「許すって相手の悪を見逃すこと」というように、全てを善悪で判断して戦っている状態なんですよね。
善悪の世界は「ない」と思い込んで生きている世界です。
そこをどうやって「ある」世界に変えていくのか?
それをお話会で説明していきたいと思います。
ヒントはね・・・
「許したい」「楽になりたい」という思いは実は本当の願いではなくて、さらにその奥に隠された本音があるのだと思いますよ。
それが何なのかなー?って意識を向けてみてくださいね。
2015年、主人から「仕事なんて辞めて掃除しろ」と言われ、離婚の危機に立たされます。
その状況を抜け出すべく、嫌いだった掃除と向き合っていくうちに本来の衣食住の意味や
暮らしの在り方、物事の成り立ちなどに気づいていきました。
2022年、ある出会いによって、その気づきは「日本人のDNAの目覚め」であったことが分かり、
生きとし生けるものが幸せに暮らす大和の智慧を、日々の暮らしに取り戻す「やまとごころ講座」をお伝えしています。