昨日、今日は天赦日と寅の日、一粒万倍日と開運日続きだったようですね。
私はそんなこともすっかり忘れて、この2日間ほぼ家にこもりっきりで、掃除と洗濯、料理をしていました!笑
最近外出が続いていて、家に居たくて仕方なかったので朝起きた時からもうワクワク♡
しかも2日ともめっちゃいいお天気―!!
「最高のご褒美だな〜♡」と思いながら朝からシーツやら、枕やら、毛布やら、布団カバーやら、片っぱしからお洗濯しました。
お布団もお日さまの下で撫でるようにはたきをかけると、ふわふわポカポカになってとっても気持ちいい♡
そんな洗濯の待ち時間の間には、春休み中ずっと気になっていた息子たちの部屋の床を塩水で丁寧に拭き掃除したり、
蕗の皮を「綺麗だな〜宝石みたいだな〜」なんてうっとりしながら剥いて佃煮にしたり、ひたすら薄切りにした新生姜を甘酢漬けにしたりしながら
喜びと幸せを噛み締めてニヤニヤしていた私なのですが、これを読んで、あなたは今どう感じていますか?
家事は自分を喜ばせるためにするもの
「うんうん、わかるー!幸せだよねー!嬉しいよねー!」って共感してくれる人もいるでしょう。
でも「えー、せっかくのお天気なら外に出かけた方が楽しいし、気持ちいいでしょ。掃除や洗濯、面倒な手作業にそんなにワクワクする?大げさじゃない?」って思う人の方も多いかもしれません。
なぜそう思うかというと、以前の私は断然!!後者だったから。笑
「家族のために仕方ないからやる」
「どうして私ばっかり!」
「できることならやりたくない」
って思っていました。
でも3年前、本気で家と向き合い始めた時、今まで見えていなかったものが霧が晴れるように一気に見え始めたのです。
私にとって、それはまるで家からのメッセージのように感じられました。
家は本当にたくさんのことを教えてくれるのです。
その一つが「家事は喜び」だということ。
「家事はやらなくてはいけないもの。面倒なもの。」と思っていた私にとって、「家事は喜び」「自分のためにやるもの」「自分を喜ばせるもの」だなんて、衝撃でした。
でも、実際にそう感じて、満たされている自分がいるのです。
「私の中にこんな私がいたんだ!」って驚きと同時に、嬉しくなる感覚、わかりますか?
誰かのためにするんじゃない、私が私を喜ばせ、満たすためにやる。
毎日のことですし、落ち込む日ややる気が起きない日ももちろん沢山あります。
喜びの気持ちで出来ない日も沢山あります。
それでいいんです。
そんな平坦じゃない毎日だからこそ、「家事は喜び」の本当の意味が深まっていくんです。
まずは自分の願いを叶え、満たす
家事ができる日、できない日、いろんな日があります。
それをいちいち褒めたり、責めたりするのではなく、日々自分の心を観察し、荒れる時、停滞する時は抗わず、向き合い続けたある日。
家族のシャツにアイロンをかけていた時、家がまた、ふと教えてくれました。
「家事は祈りだよ」と。
衣食住と言いますが、衣服、食、住まいは私たちのいのちの基盤であり、私たちの心、体、精神を健全に守り育むものです。
それらを整える家事というのは、家族の健康と幸せを願う行為なのです。
おうちレッスンでは、はじめは自分自身を満たすために、とことん自分に関する願いを叶えていきます。
なぜなら、自分が不満いっぱいの状態で誰かの幸せを願ったり、喜んだりはできないから。
まずはしっかり自分を満たすことからです。
それも、誰かや何かで満たすのではなく、自分で自分を満たすのです。
誰かや何か、つまり外発的なもので満たした喜びはすぐに枯渇してしまいます。
ずっと与えられ続ける必要があり、与えられ続けたとしてもすぐに枯れてしまうので本当の意味で満たされることはありません。
自分で自分を満たすというのは自分の内に喜びの泉を持つようなもの。
枯れることなく湧き出し続けるのです。
だから、自分で自分を満たすというのが第1ステップ。
おうちレッスンでは初級でお伝えしている内容です。
自分を満たすと本来の自分が発動しだす
そうやって自分で自分の願いを叶え、満たしていくと、本来誰もが持っている「人の幸せを願う自分がいる」ことに気づいていきます。
それは以前の「人のために〇〇をする」というのとは全く別物です。
何が違うかというと、根っこにある意識が全然違うのです。
以前の「人のため」は人と自分が分離しています。
「自分が犠牲になることで、相手のためになる。」
相手と自分は別々なのです。
でも、自分が十分に満たされると、人と自分を分離していた境界がなくなるのです。
「相手の喜びは私の喜び」「相手の幸せは私の幸せ」
という誰もが本来持っている本質的な思い、感覚が発動し始めます。
「人が喜ぶのを見るのが好き。私も嬉しくなるから。」
この感覚は皆さん分かるんじゃないでしょうか?
子供の時、お母さんが嬉しそうにしてると自分の心も踊り出しそうに嬉しかったり、
お友達にサプライズプレゼントをしたらすごく喜んでくれて、自分もとても幸せな気持ちになったこと。
きっと何かしら経験ありますよね。
家事の本来の姿は「感謝」と「祈り」
自分を犠牲にして人のために何かをするのではなく、自分の喜びの気持ちから人の幸せを願う。
同じ「人のため」でも大違いなのです。
そして、後者の「自分と人との間に境界のない世界」の願いを、私たちは「祈り」と呼ぶのだと思います。
自分を満たしていない状態、もしくは自分を犠牲にした「人のため」は相手をコントロールしようとしたり、「私ばっかり」という被害者意識が生まれたりします。
やばい、これだと「呪い」ですよね。笑
自分の喜びから発生する「人のため」は見返りを期待しない「祈り」になります。
本来の家事の姿は「呪い」ではなく、「祈り」です。
そして、私たちを守ってくれるものたちへの「感謝」です。
忙しさに気を取られると、やっつけ仕事のようにやってしまいがちだけど、本来の家事の姿は「祈り」なのだと心に留めてみると、日々の暮らしの見え方が少し変わってくるのではないでしょうか。
ただ、前述したように、順番があります。
自分自身が満たされていないのに、いきなり「祈り」や「感謝」などできません。
まずはしっかり自分の心と向き合い、自分の願いを自分で叶えることからです。
「自分の心と向き合う」
「自分を満たす」
「自分の願いを叶える」
「本音で生きる」
「自分と繋がる」
って一体どういうこと?そのためには具体的にどうすればいいの?という方はぜひレッスンにいらしてください!
初級でこの部分をしっかりお伝えしていきますよー
認定講師たちの1day体験レッスンも随時開催されてますので、興味のある方はどんどんご参加くださいね。
2015年、主人から「仕事なんて辞めて掃除しろ」と言われ、離婚の危機に立たされます。
その状況を抜け出すべく、嫌いだった掃除と向き合っていくうちに本来の衣食住の意味や
暮らしの在り方、物事の成り立ちなどに気づいていきました。
2022年、ある出会いによって、その気づきは「日本人のDNAの目覚め」であったことが分かり、
生きとし生けるものが幸せに暮らす大和の智慧を、日々の暮らしに取り戻す「やまとごころ講座」をお伝えしています。