毎月25日は認定講師クラスの日です。
その月によって、ミーティングだったり、シェア会だったり、レッスンの予行演習だったり、内容は違うのですが、今月は「いのちを表現するワークショップ」でした。
自分の思いを表現しようとすると出てくる不安や恐怖。
「こんなこと言ったらなんと思われるだろう」
「間違ったり、上手にできなかったら恥ずかしい」
「丸裸の自分を表現して、それを否定されたら悲しい。」
そんな不安や恐怖が本当の自分を表現することにブレーキをかけること、ありますよね。
そう思う時っていつも「誰かにこう言われたら(こう思われたら)どうしよう。」って「誰か」を気にしているんだけど、実はその「誰か」の問題ではありません。
それがとても分かりやすかったのが今回のワークショップでした。
感情を解放するドラマセラピー
今回のワークショップは新しいテキストのイラストを描いてくれているレインボーアーティストのたみのともみちゃんにお願いして、贅沢にも4人のアーティストたち(そのうちの一人はおうちレッスン第1期卒業生さんです♡)による「音のワーク」「アートワーク」「ドラマセラピー」「舞」のワークでした。
どのワークも素晴らしかったんだけど、それはドラマセラピーで起こったことでした。
ドラマセラピーとは演劇みたいなものです。
ドラマの中では普段の自分とは違う、なりたい役になれます。
例えば普段はいつも誰かの顔色ばかり気になって、不機嫌や怒りを人にぶつけるなんて出来ないという人も、自分勝手でわがままなお姫様役のセリフとしてなら言えたりしますよね。
セリフは決まっているわけではなく、その役になりきって自由に話すのですが、実際に声や感情を出して役を演じてみることで、その役の気持ちを味わうことができたり、感情の解放ができたりします。
この日は「あの時本当はこうしたかった」もしくは「こんなふうにして欲しかった」など、やり直したいと思うシチュエーションを再現することになりました。
視点が変わると見えるものが変わる
それは小学生の彼女が漢字テストを持って帰ってきたときの場面です。
テストは99点でした。
とめるのか跳ねるのか迷って書いた答えが一つだけ間違っていたのです。
その99点のテストを持って帰ったときに、お母さんが「あと一点で百点だったのにね」と言った言葉がずっと残っているのだそうです。
本当は大好きなお母さんに頑張った99点の部分を認めて欲しかった。
出来なかった1点にフォーカスされたことが悲しかった。
実はこれ、私が初めて彼女に出会った3年前にも聞いたことがありました。
頭では納得できたつもりでも、まだずっと心の中にあったんですね。
そして今回そのシーンをドラマセラピーですることになりました。
彼女がお母さん役に選んだのは私でした。
彼女はテストを持って帰ってきます。「あのね、お母さん、漢字テスト返ってきたよ」と。
「あのね、99点だったの。」
お母さん役の私は彼女が本当は言って欲しかった言葉を伝えます。
「わー、よく頑張ったね。」
「でも一つ間違えちゃったの。止めるのか跳ねるのか迷ったんだけど、間違えちゃったの。」
「どこを間違えたか分かったからこれからは大丈夫だね。
〇〇ちゃんが頑張ってたの、お母さん知ってるよ。」
それを聞きながら彼女は泣くのですが、そんな彼女をハグしながらなんだか真に繋がっていない感じがしていました。
そして、「あと一点で百点だったのにね」という言葉はできなかった一つにフォーカスしてるわけじゃなくて、「悔しかったね、惜しかったね」とその一点を気にしている彼女の気持ちに寄り添っただけのような気がしたのです。
今度は役が入れ替わって、彼女がお母さん役、私が娘役になります。
役を入れ替わることで視点が変わり、新たな気づきが起こったりするのです。
「お母さん、漢字テストが返ってきたよ」と言いながらテストを見せようとする私。
その瞬間、とても悲しい気持ちになって泣きそうになったのです。
自分でもびっくりしました。
そして勝手に「一つ間違えちゃたの、100点じゃなかったの。お母さん、ごめんね」という言葉が出てきます。
お母さん役の時には頭で考えて安心させようと話している感じだったけど、娘役の時は心の内側から勝手に言葉と感情が溢れてくる感じ。
私自身はテストの点数や100点にこだわった記憶はありません。
まぁ、そもそも100点なんてほとんどとったことないし、「平均点以上なら上出来、上出来♪」みたいなお気楽な性格だったので、そのセリフはどうみても私自身のセリフではないんですよね。
でも役に入った途端、その一点がすごく情けなくて、悲しくて胸がチクチクするのです。
お母さん役の彼女は自分が言って欲しかった言葉を、娘の私に伝えます。
でも、言って欲しかった言葉のはずなのに、そのお母さんの言葉は全然耳に入ってこないし、心に届いてこないのです。
「ダメなの。100点じゃなかったの。あと1点で100点だったのに。そしたらお母さんを喜ばせられたのに。お母さん、ごめんね」という思いがチクチク胸を刺し続けます。
とても不思議な感覚でした。
でも後になって時間がたつほどにじわじわと分かってきたのです。
確かにあの時、お母さんが「あと一点で100点だったのにね」と言ったのでしょう。
でも、彼女が傷ついたのはお母さんの言葉ではありません。
彼女自身がその1点のミスを自分に許していなかったのです。
その一点が許せなかったのはお母さんではなくて、彼女自身。
100点じゃないからお母さんを喜ばせられなかったじゃない、と責めているのです。
自分を幸せにするのも、傷つけるのも自分自身
人は誰かによって幸せにしてもらったり、傷つけられたりすることはありません。
例えば、どんなにご主人が奥さんを幸せにしようとプレゼントを送ったり、デートに誘ったり、彼女の意見に耳を傾けて溢れんばかりの愛を注いだとしても、「でも、私には自由が足りないの」と彼女自身が「ない」ものにフォーカスしている限り、幸せで満たされることはありませんよね。
逆にそこまでしてくれるご主人じゃなくても、そこにたくさんの愛が「ある」と感じられたら「私って幸せだなー。ほんと恵まれてる。」と思えるのです。
また、誰かに「あなたって本当にすることが遅いわよね」と言われたとしても、「私はゆっくりだけど、でも一つ一つ自分で納得しながら丁寧にやるのが好き。それにそれが私のいいところでもあるしね」と自分が自分を「よし」と思っていたら「そんなふうに感じる人もいるよね」と思っても、その言葉によって傷つくことはありません。
逆に、どんなに「誰にでも一つや二つ、苦手なことはあるものよ。それよりあなたのこういうところ、素敵だと思うわ」と褒められたとしても、自分自身が苦手な一つ、二つのことを気にしている限り、他人からの言葉を素直に受け入れることはできないし、「でもこれもできるようになった方がもっと大切にしてもらえるよね?」と思ったりするものです。
つまり、誰かの言葉や行動で傷ついたとしても、その本質は外ではなく、内にあるということです。
「誰か」ではなく「自分」
もしかしたら目の前の人はあなたの心の声をそのまま口にしてくれただけにすぎないのかもしれませんよね。
それをその人との関係性としてどうにかするのではなく、自分自身との関係性(自分とのパートナーシップ)として受け止めて向き合った時に、本当の癒しが起こります。
自分とのパートナーシップを整える「しあわせおうちレッスン」
やっぱり向き合うのは、どこまでも自分自身とのパートナーシップなんですね。
内なる自分は「自分のおうち」
おうちレッスンは家だけでなく、内なる自分を整えるレッスンです。
家は内なる自分の鏡だから。
6月からテキストも新しくなり、今後レッスン体系も内容をさらに充実させて生まれ変わります。
詳細はまた追ってお知らせしますね。
新規クラスは9月に開講予定ですので、ご興味いただいた方は毎月開催されている参加費無料(ご自身の飲食代のみ負担)のお茶会からご参加ください。
卒業生さんの声も聞けますよー
9月の開講までに1DAYレッスンも開催予定です。
あなたにお会いできるのを楽しみにしています。
2015年、主人から「仕事なんて辞めて掃除しろ」と言われ、離婚の危機に立たされます。
その状況を抜け出すべく、嫌いだった掃除と向き合っていくうちに本来の衣食住の意味や
暮らしの在り方、物事の成り立ちなどに気づいていきました。
2022年、ある出会いによって、その気づきは「日本人のDNAの目覚め」であったことが分かり、
生きとし生けるものが幸せに暮らす大和の智慧を、日々の暮らしに取り戻す「やまとごころ講座」をお伝えしています。