先月の話になりますが、インディアンドラムとバイオリン、ライアーによる「天と地と私」と繋がる瞑想会を開催しました。
全く世界観の違う3つの楽器がそれぞれの役割で私たちの内側を震わせ、心地よい一つの世界を作り上げていました。
それぞれの楽器の響き、振動、言葉による誘導瞑想や朗読、そして香り…
それらが一つになって内側を震わせ、深い浄化が起こって涙を流される方達もたくさんいらっしゃいました。
その会の後に、美香ちゃんがインディアンドラムを一人一人の頭の上で叩いてくれたのですが、その時にびっくりすることが起こったのです。
美香ちゃんが私の頭の上でドラムを激しく叩いた瞬間、雷が落ちたような感覚になってすごい速さで莫大な量の映像が一気に見えたのです。
「美香ちゃん、わかった!!私、木だった!!!」
そこにいたみんなは思わず目が点・・・笑
美香ちゃんは「うん、わかった。受け止める。」って聞いてくれたけど。笑
「木やったんや?」
「うん!木だった!何百年も生きた大きな大きな木だったの。
私よくいろんな人から『あなたの中にはすごく古い命(魂)がいるね。』って言われるんだけど、その意味がずっとよく分からなかったの。
でも今わかった。あの木のことだったんだ!」
私が太鼓の音と共に見たのは小さな芽だった時から最後に朽ち果てて寿命を終えた時までのすべての記憶でした。
そしてその時に思い出したんです。
小学生の時に書いていた物語のことを。
その時仲の良かった友達がお話を書くのが大好きで、「子供のお話創作コンクルールみたいなものがあるんだよー」と教えてくれたのです。
で、「それいいね!私たちも書いてみよう」とそれぞれノートに自分の物語を書いて交換して読んだりしていました。
その時に私が書いていたのが木のお話でした。
主人公が木。笑
芽が出るところからお話は始まるのですが、その木はとても大きくなり、いつしかその村のシンボルツリーになるくらいに成長していきます。
一番高い丘の上に立つその木は「約束の木」とも言われ、そこで交わした約束は必ず叶うとたくさんの人たちがその木の下でいろんな約束を交わしていきます。
たくさんの男女の、家族の、仲間との守られた約束、守られなかった約束、すれ違ってしまった思い、貫き通された愛、こじれてしまった愛…
幾世代も繰り返される人々の営み、戦い、裏切り、喜び、思いやり、恨み、愛をずっと見つめ続けてきた木。
その木が見てきたシーンを木の成長と共にただ綴っていく物語でした。
その物語を書いていた時、次から次へと書こうと思うシーンの映像が現れてくるんです。
当時はそれを想像して書いているんだと思っていました。
でもインディアンドラムを聞いた時に「ああ、あれは私の想像じゃなくて実際に見てきた光景だったんだ」と分かったんです。
私がレッスンの中で何度も「根をはる」ことの大切さを伝え、自分を木に例えて説明していたのもそのせいだったのかも。
結局そのお話は書き終えることが出来ずコンクールには出せずじまいだったんだけど。
(どう書き終えたらいいのか分からなかったの。でも今回最後まで見て分かった)
今また改めて書いてみても面白いかなー♪
美香ちゃん曰く「分かった瞬間目がキラキラに光りだしたよねー。
真理ちゃんは見た目は近代的なのに、内側は古い感じがずっとしてて、私もそれは何かなーと思っていたけど木って聞いてすごく腑に落ちたわ。人間としての経験は少ない感じだしね。」
それを聞いた主人は「そうか、それで納得した!人間としていたらないのは経験が少ないから仕方ないねんな!申し訳なかった、これからは木やと思って、人として出来てないところは目をつぶって俺がフォローするわ」と。
…なんか微妙にディスられている気もするけど、ま、いっか。笑
そんな噂のインディアンドラムとバイオリン、ライアーの瞑想会、また開催しますのでぜひぜひいらしてくださいね。
あなたも何かを思い出して目覚めてしまうかもよ♪
2015年、主人から「仕事なんて辞めて掃除しろ」と言われ、離婚の危機に立たされます。
その状況を抜け出すべく、嫌いだった掃除と向き合っていくうちに本来の衣食住の意味や
暮らしの在り方、物事の成り立ちなどに気づいていきました。
2022年、ある出会いによって、その気づきは「日本人のDNAの目覚め」であったことが分かり、
生きとし生けるものが幸せに暮らす大和の智慧を、日々の暮らしに取り戻す「やまとごころ講座」をお伝えしています。